人は何故走るのか?

『人は何故走るのか?』もちろんかつては捕食するため、
あるいは逆に捕食から逃れる為に走っていたのだろう。
だが現代社会では捕食が問題ではなく、飽食が問題になっている。
もちろん地球規模で考えれば、それはごく一部の民の問題かもしれないが、少なくとも我が日本では大きな問題だ。

体重というのは摂取カロリーと消費カロリーのプラス、マイナスという単純な
計算で成り立つが、明らかに現代の日本ではプラス方向に傾いている。

その結果、成人病を患う人々の数が増え、それは医療費を逼迫している。
アメリカでは肥満の原因を招くトランスファット(マーガリン)などの提供が法律で禁じられるまでになった。
もちろん国家予算を脅かす成人病患者を作り出さない為の法律である。
極端であるとの誹りを恐れずに言うならば、成人病を招くような「肥満」は国家の敵である。

ならば、健康体でいることは、それだけで社会貢献である。
が、社会貢献云々の前に、もっと自己中心的に考えてみよう。
健康体であることは自身の肉体の美しさに繋がり、それは他者にも素晴らしい刺激を与える。

しなやかな肉体、健康的な笑顔、機敏なる所作は、誰からも愛される存在だ。
己が我慢して奉仕する社会貢献は継続が困難だが、自己愛が社会貢献に繋がるのであれば、それを持続することは容易い。

記録やタイムの為ではなく、いつまでも美しく、柔軟なココロとカラダを維持し続けたい。

その為に走り続ける。走ることによる社会貢献。
これが「Kiss My Earth」の基本的理念だ。

遙かなる古代、我々は火を扱うことで
他の動物たちより優位に立つことができた。

からだを覆う毛皮もなく、鋭い爪や牙を持たない人類は、火を自由自在に操ることで、生物の頂点に立ったのだ。
長い歴史の中で、その火というシンプルな道具から始まり、人々はあらゆる便利な道具を手に入れたが、いつの間にか我々は自分の手に負えない道具まで手に入れてしまった。

確かにあれば便利な道具は多い。
が、なくても生活に大きな影響を与えない道具も数多く存在する。
べつに古代の生活に逆戻りしようという提案をする気はないが、もう少し、自分の周囲の道具を見直してみることも、時には必要じゃないか。

例えば靴という道具。確かに素足じゃ歩くのに痛い思いをする。
ましてや長い距離を走るのなら靴が必要かもしれない。
しかしソールにあらゆる素材のクッションを詰め込み、アッパーに様々な工夫を凝らしてみても、故障を訴えるランナーは後を絶たない。

よくよく考えると、己の足の裏は、
我が母なる大地、
地球との唯一の接点である

その大地の鼓動や息遣いを、厚いソールによって見過ごしてはいないだろうか?
それにもしかして、衝撃から保護してくれるはずの靴が、人間本来が持つチカラを奪ってしまっているかもしれない。

道具を捨て去ることで、人間本来の持てるチカラを発揮して未来を見つめることは、ここ十数年の間に二度もの大きな震災を経験した我々にとって、ある意味に於いて転機となるのではないか。

さあ己の足の裏で、優しく地球に口づけしようではないか。

Kiss My Earth キスマイアース